Day After Day

”Discover Me” - 日々の気づきと、ときめきを重ねてく。

たった5日で世界が変わった話② - 私が握りしめているもの

前回の続きを。

 

 

私が本当に見たくなかった、

 

でも私の”自我”が

「当たり前の私」として認識していたもの。

 

それは何だったんでしょうか。

ほどいていこうと思います。

 

 

 

*************

 

 

 

🌸9月29日(火)。

 

 

朝、事件が起こりました。

 

取引先に訪問して、

今月仕上げなければならない計画の確認をしたときに、

評価に関わる数量のカウントの仕方が

相手側と私でずれていることが発覚したのです。

このままにしておくと計画は未達成に終わります。

 

県全体で達成するために動いているのに、

私の担当店舗だけ未達成となると

それはとても大ごとになります。

 

その後、

ずっと多方面に電話をかけたり

お得意先に直接出かけて

足りない部分をどうするのか、

とにかくできることは全て手を尽くしました。

 

どうしてこうなってしまったのか

原因はいろいろありましたが、

 

私がもっと早く動いていればよかったこと、

私がカウントの仕方を先方に説明した際に

理解が得られたのかの確認が不十分だったこと、

取引先全体の動きを担当者1人に丸投げしていたこと、

今までそれでうまく行っていたので大丈夫だろうと慢心していたこと、

先方の上司にそれを共有していなかったこと、

 

私の行動と思考に、

たくさんたくさん

原因になり得ることが見つかりました。

その結果、

とてもたくさんの方へご迷惑をおかけすることになってしまって。

 

 

自分に何が足りなかったのか?

どういう風にしていなければいけなかったのか?

 

いろんなことを考えました。

先方担当者の方、上司、

うちの会社の課長、チーフ、同僚、同期、

親にも相談して、

いろいろ話を聞いてもらいました。

 

 

 

 

そこで見えてきたことは、

 

”はなという人間は、

人に頼るのがとても苦手である”ということでした。

 

 

 

人に助けてほしいって言えない。

 

わからないことがあっても、

教えてほしいって言えないのです。

 

 

 

それはなぜなのか?

 

 

”相手の時間や労力を奪うのが申し訳ないから。”

 

 

私はそうだと思っていました。

 

 

  

 

 

でも、

 

違ったんです。

 

 

 

 

 

 

 

それは単なる建前にしか過ぎませんでした。

 

自分の心を守るための。

 

 

  自分は駄目なやつじゃない。

  自分はあくまでも、

  相手を思いやるが故に

  相手に助けてと言えないんだ、と。

 

そう思っていたかっただけだったんです。

 

 相手を心配する優しい自分でいたかっただけ。

 

 

 

 

 

 

じゃあ、

本当は? 

 

 

私が、人に助けてと言えないのはなぜか。

 

私が、人に教えてと言えないのはなぜか。

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、

 

 

  「そんなこともできないの?」

  「そんなことも知らないの?」

 

 

と、言われたくないから

 

 

でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんだそれ。

 

 

めっちゃかっこ悪い。

 

めっちゃんこ恥ずかしい。

 

 

 

 

 

私が何かをできないと言ったら

私が何かを知らないと言ったら

 

”相手は私をばかにする”と思い込んで生きてきたんだ、私は。

 

 

 

 

なんだそれ。

 

しばらく愕然としました。

 

 

 

 

 

”知らない自分”を見せたくない。

 

それってなんで?

 

 

なんでも知ってる賢い自分でいれば、

相手は私を頼ってくれる。

尊敬してくれる。

仲良くしてくれる。

愛してくれる。

 

 

たぶん私は

本気でそう信じているんです。

 

 

 

それはなぜなのか?

 

自我が作り出した

”当たり前の自分”は、

過去の経験の積み重ねによるものです。

 

 

思えば、

小中学生時代、

私は友人にいろいろ教えてあげることが多くて。

 

勉強もできたし、

本を読むことも好きだった私は、

同級生が知らないことを比較的たくさん知ってい(ると思い込んでい)て、

 

友達とのコミュニケーションの多くはきっと、

何かを教えてあげることだったような気がしています。

 

友達の知らないことを教えてあげられる私は、

みんなと仲良くしてもらえる。

 

  =それがないと仲良くしてもらえない。

 

そういう思い込みが、

私をどんどん

「知らないことがあることは許されない人」にしていきました。

 

ガッチガチの、がんじがらめ。

 

 

 

知識だけならまだしも、

 

例えば人との関わり方みたいなことを相談されたりした時なんかは、

正解を調べようがないわけで。

 

 

太陽星座も水星星座もさそり座の私は、

人の気持ちに敏感で

ある程度見えてしまうこともあって、

 

  ”あの人はこうこうこういう理由で、

  こういう風に思ってるんじゃないかな?”

 

とか答えてしまうことも少なくなく。

 

 

 

それって、

 

完ッ全に、

推測・思い込みですよね。

 

 

 

 

 

こうやって、

 

事実とは全く違う

”自身の解釈”で塗り固められた自我が完成し、

年々それが

高く厚く硬く、積み上げられてきたんだと思うのです。

 

 

 

私が握りしめているもの。

 

それは、

「そんなことも知らないの?」

って言われたくない自分

 

でした。

 

 

私が他の人に対して

そう思っていることもあるのかなあ…

 

 

そんな自覚はないし、

そんなこと思いたくもないけど。。。

 

 

 

 

 

 

この日、

このことを深掘りしながら、

 

発見するまでに、

そして受け取るまでに、

ものすごく泣きました。

 

ここ数年

泣き方ってどうやるんだっけ?

とか思ってましたが、

 

今日この気づきで泣いて泣いて出し切るために

泣くのをとっておいたんじゃないかってくらい。

 

 

 

 

 

”なんでもは知らなくていい自分”を、

 

自分で許可してあげないといけませぬ。

 

 

 

何か知らないことを相談されたときは、

 

”知らなくても愛されるんだよ。

知らなくても尊敬されるんだよ。”

 

 

そういうメッセージを送られているということなのかもって、

 

そういう風に思えたらいいなと今は思っています。

 

 

 

 

 

 

🌸9月30日(水)。

 

前日の問題は朝一番で

(他の方の尽力により)

達成という形で決着しました。

 

課題をどうするかを上司と話し合っているさなかから、

 

私はなんだか、

落ち込みまくりながらも

 

世界が変わって見えた感覚を持っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

  常に愛されていたい。

 

  いつも尊敬されたい。

 

 

そんなちょっと恥ずかしい自分をしっかり受け止めて、

 

受け入れて、

 

自分のやりたいことを純粋にやっていれば、

 

それだけで大事な人から愛されるんだよって。

それは叶うんだよって。

 

 

高いプライドを握りしめていた手を開いて、

代わりに、

その思いを乗せてあげて

 

 

 

今日からでも、

 

変わっていけるんだと。

 

 

 

ちゃんと自分に

そう教えながら生きていこうと思いました。

 

 

 

 

 

たった5日間で、

 

世界が変わって見えたお話。